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ネガティブに感じる部分から日本文化を評価する
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ビアモンティ氏 日本の工場の生産性は世界に誇るものがある。が、いわゆるホワイトカラー(こんな表現がまだ通用してよいのか?)の生産性は驚くほど低いというのが通説になっている。
ミーティングが始まる時刻には厳しい。その割に終わるタイミングに関しては杜撰。なにせ船を漕ぐ人もでる。そして無駄口を叩きながら夕食の時刻になっても平気で残業をしている。
長時間労働は実に評判が悪い。しかしまるっきり無意味なのだろうか。ポジティブな側面に光をあてることはできないだろうか。
「長時間労働はハンドクラフトや知的作業と相性がよい。良いアイデアはまったく別の仕事をしている時に出てくるものだ。もちろん人によって違うが、連続的で合理的なプロセスでクリエイティブなアイデアが出ないのは確かだ」
こう話すのはミラノ工科大学でインテリアデザインを教えるアレッサンドロ・ビアモンティ氏だ。一見効率の悪そうなジグザグのプロセスほど輝くアイデアが「降りてくる」。その彼が日本文化に言及する。
「日本では時間の価値を他の地域よりも重視しているようにみえる」
個人的な意見だが、と断りながら続ける。
「無数のディテールに立ち向かうのが日本のアプローチだ。だから『時』もひとつひとつの瞬間にこそ重みがある」
「時は金なり」でいう効率とは違うところに時間の価値をおく。ここに日本文化の特色があると言っているように聞こえる。彼の解釈を確認するために、ぼくはこういうエピソードを出してみた。
数年前、ヴィネツィアで開催された展覧会に日本の建築家が作品を発表した。それを数人の欧州人と見学に出かけた時、彼らの半数以上が否定的だった。それは「なんて、細かいことにこんなに時間を使ったのだ。もっと効率よくメッセージが伝えられるではないか!」というのが理由だ。ディテールへの拘りが悪者にされた。
このぼくの経験談をビアモンティ氏に話すと、彼のコメントは違った。
「あの作品は素晴らしかった。彼は西洋の作法で建築をやろうとすると上手くいかないけど、空間や素材を日本の流儀で表現すると凄く面白い」
細部に力を入れると「全体が見えない」「過剰品質ではないか」との批評を受けるのではないか、と戦々恐々しているところが今の日本のビジネスパーソンにはある。そして、その逆に伝統工芸品などの「本物」の世界こそに日本の表現の領域があると執着する傾向がある。
クラフトマンシップと大量生産を切り離してしまうのだ。しかし、日本文化の外にいる人はそうみない。ビアモンティ氏はこう語る。
「ぼくが日本文化を語る時、大量生産もカバーしている。工芸品だけではない。外国人として、デザイナーとして、アレッサンドロという個人として、日本の伝統的アイコンをサブカルと分けることはできない。同様にソニーやMUJIと伝統的な漆の工芸品を区別できない」
そして、こう大胆な言葉を吐く。
「いってみれば日本文化そのものが長時間労働の最も価値あるアウトプットなのだ」
聞き捨て難い新鮮な見方ではないか。ただ、暗黙知の多い日本文化は誤解もされやすい。よく日本の工芸品などには「(西洋にはない)深さを感じる」と語る欧州人がいるが、ぼくは文化圏によって深さなど違うものだろうかと疑心暗鬼だ。そんなことはないはずだ。
ビアモンティ氏は一つのヒントをくれた。
「日本には何かを作っている最中に、あたかも祈りを込めるような態度があると思う。そういうことが欧州、すくなくてもイタリアにはない。作ることは作ること。祈ることは祈ること。二つは別物だよね」
深い思索には長い時間が必要であり、長時間労働はクリエイティブな発想と深い考えを生むに貢献するであろう。日本文化のアイコンをお決まりのようになぞるだけでなく、ネガティブに言われる部分から日本文化を評価することも必要だ。