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越えられない壁 欧州言語と日本語の差

ニュースカテゴリ:政策・市況の海外情勢

越えられない壁 欧州言語と日本語の差

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 先日、友人と雑談している時に、こうぼくは尋ねた。彼は料理に詳しい。

 「スペイン料理の店は世界の何処の街にも一様にある、というわけじゃないよね。フランス、イタリア、中国、日本といった国の料理ほどにはスペインの料理は一般的じゃない。どうしてだと思う?」

 日本をみても一時スペイン料理がブームか?と思われるときがあったが、どこの街角でもみつかるような定着の仕方はしていない。欧州の街を歩いていても(当然、スペイン以外の国々だが)、スペイン料理の店がここかしこにあるという印象がない。

 ぼく自身、スペイン料理は昔から好きで手ごろに食べられる皿が多いので、このイマイチ感がとても残念だ。それで友人の意見を聞いてみたわけである。

 「香辛料がスペイン料理では重要な役割を果たしていて、そのコンビネーションも複雑だ。ここに難があって一般的な普及が果たせないのではないか?」と彼は答えた。

 スペインはアラブ世界の影響が強いが、料理においても同様で、それがフランスやイタリアのように現代の定番料理になりきれない一因ではないかという。パエリアはファンが多いが複数名からの注文で調理に時間がかかることが多いのも一つの壁かもしれない。スパゲッティとは違う。

 いずれにせよ、確かにスペイン料理の匂いにはクセがある。だが、それも馴れではないか。味も馴れでかなりのバリアは消滅するものだ。

 この原稿はアブダビの空港で書いている。ミラノからここまでの中東の航空会社の機内食やラウンジの食事をとりながら、スペイン料理に関する友人との会話を思い出し、香辛料のバリアは味より高いだろうか、ということを考えていた。

 何事にも壁はつきものだ。越えやすい壁と越えにくい壁がある。言葉のニュアンスなども越えにくい壁の一つだ。ぼくが未だにしっくりこない欧州言語と日本語の差の例をあげよう。

 友人に頼まれてモノを自宅のあるアパートに届けにいった時のこと。建物の入り口にあるインターホンで呼び出すと、「ありがとう。もし来たければ、エレベータを使って6階ね」と彼の声。

 「他人のモノを頼んでいるのに自分が階下まで下りてこないで、上がってきたら?それも、来たかったら?こっちは好意できたんだぞ!」と即座に文句を言いたくなったが、もちろん、そんなことは即言わない。カチンときながら大人の対応をする。

 「もしそうしたかったら」というのは、英語でいえば if you want だ。イタリア語でもフランス語でも、この言い方は非常に一般的で、日本語に直訳したニュアンスで理解してはいけないことは百も承知している。でありながら、どうしても日本語のロジックがムクムクと湧き上がってきてしまう。

 ただ、この物言いに対する違和感は実は欧州人の間にあることも分かった。

 フランス人の友人が「ぼくはそういう言い方をなるべく使わないようにしているよ。だってなんかエラそうじゃない」とコメントした。これは育ちの差なのかとも考えた。彼は育ちがすごくいい。

 そんなに育ちのよくないイタリア人にも聞いてみた。すると彼女も、「いやな表現ね」と言うから驚いた。だって、その彼女が「もし、そうしたいなら」と言うのをかつて耳にしていたからだ。

 越えられない壁はやはりある。

 今、ぼくの横では数人の若いムスリムがラウンジの床に頭をつけてお祈りをしている。メッカのある方向の壁に向かって頭を繰り返し下げる。その壁には大型TVがかかっており、欧州のサッカーゲームが放映されている。彼らはその番組には全く関心のないような様子で宗教行為に集中している。

 一人はミランのユニホームまで着ている。

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