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【逍遥の児】脱藩して戦った青年藩主
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1枚の写真がある。幕末に撮影された。凛々(りり)しい若者。切れ長の目。眼光は鋭い。腰に刀。右手に陣笠(じんがさ)。陣羽織をはおる。出陣前のようだ。
請西(じょうざい)藩(千葉県木更津市)の青年藩主、林忠崇(ただたか)。
彼は脱藩し、戊辰(ぼしん)戦争を戦った。脱藩とは、志を果たすため、藩の束縛を断ち切ること。坂本龍馬のごとく。なぜ、藩主自ら…。
謎を追ってJR内房線の電車に乗り込む。南下する。木更津市郷土博物館金のすず。稲葉昭智学芸員(50)と会った。にっこり笑っていった。
「はい。確かに林忠崇は脱藩し、命がけで戦いました。わたしは、世の中に1人、こういう人物がいてよかったと思います」
1868(慶応4)年、新政府軍は箱根を越え、江戸に進軍してきた。諸藩は次々に恭順の意を表していく。
だが、林忠崇は決断する。徳川家に忠義を尽くすため、戦う。脱藩した。徳川家や請西藩が後難を受けないようにとの配慮からとみられる。
請西藩は1万石の小藩だった。どうして強大な新政府軍に立ち向かおうとしたのだろうか。
「徳川家と林家は故事に基づき、先祖代々、特別な関係で結ばれていた。正月、林家が兎(うさぎ)を献上し、将軍は兎汁を食べる。そして一番先に林家当主へ御酒(ごしゅ)を賜(たま)ったのです」
林忠崇は出陣していく。藩士数十人が同行した。拠点、真武根(まぶね)陣屋の表門を開く。大砲を1発、放った。林軍は、精鋭部隊、遊撃隊と合流。船に乗り込み、伊豆を目指す。箱根の関所を占拠して、新政府軍の補給路を断つ戦略だったようだ。しかし、攻撃を受け、敗退。それでも林軍は戦意を失わない。東北各地を転戦。仙台でついに降伏した。切腹を覚悟したが、護送され、東京で幽閉。5年後に赦免となった。
「忠崇は木更津にもどってきた。開拓農民となり、畑を耕した。北海道に渡り、商家の番頭もやったそうです」
木更津市の高台に登る。真武根陣屋跡の石碑が建つ。眼下に東京湾がかすむ。忠義を貫いた若武者の生涯を思う。劇的な人生をよく生きた。1941(昭和16)年、死去。享年94歳。(塩塚保/SANKEI EXPRESS)