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伊で通訳介さずに語る本田圭祐 大きく変わった日本人サッカー選手の存在感
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5日付ガゼッタ・デロ・スポルト紙は見開きで本田の到着を「本田ショック」の見出しで報道。「10HONDA」のユニホームを手にする本田の写真を大々的に掲載 この1月、モスクワから本田圭祐がACミランにやってきた。さんざん移籍を噂され続けてきたが、「やっと」だ。現在、ACミランはセリアAで10位周辺と低迷していて本田に対するファンの期待も大きい。が、同時にプレッシャーも大きい。1月12日のサッスオーロ戦後半20分からのプレーについても侃々諤々だ。
さて、記者会見での期待に応えるべく全力でプレーしたいとの英語による意思表明を聞きながら、1998年に中田英寿さんがペルージャに入団した時のことを思い出した。あの時は通訳を介したものものしい風景だった。
中田さんはイタリア語が喋れるようになっても公の場では通訳を伴うことが多かった。あれから16年を経てイタリアのサッカーにおける日本人の存在感も大きく変わった。インテルの長友佑都はイタリア語でインタビュアーの質問にリズムを外さずに答えている。
もちろん中田さんへのマスメディア攻勢は凄まじく、誹謗中傷を避けるための防衛策がより必要であったことは否めない。現在、日本人選手が30人近くヨーロッパ各国のリーグで活躍している。当時と今では、一人に対する目線の数が圧倒的に違うのだ。
ただ、これは目線や選手の語学力の向上というだけでなく、サッカー選手が通訳を介してインタビューに答えること自身がビデオマーケティングの時代にマッチしていない現れではないかとも思う。ガチガチに固めたイメージ戦略は似合わなくなってきた。ちょっとしたミスなど愛嬌でカバーしろ、と。
スポーツ選手の語学という例でぼくの記憶にあるのは、F1のミハエル・シューマッハのフェラーリ時代だ。1991年から1995年のベネトンでの輝かしい戦歴をバックに1996年にフェラーリに移った。2006年までフェラーリに在籍したが、この約10年間の前半期、彼はイタリアTV局のインタビューに対しても一貫して英語で答え続けていた。
完璧主義でロボットのようだと形容されたシューマッハがチームの母国語を話さない(実際は「話そうとしない」)ことに、多くのイタリアのファンは内心不満だった。それでも「サービスの言葉なんかどうでもいいから、とにかく優勝してくれ」というのがファンの本音だったのだろう。
なにしろ最初の数年間はチームの立て直しが必要で、且つマシーンの性能がついていかず、彼の実力をしてもシーズン優勝にはなかなか手が届かなかった。
彼の快進撃は2000年から再スタートし個人優勝は5年間続いた。その頃になるとじょじょにイタリア語でジャーナリストと冗談を言い合う姿がTVでも見かけられるようになった。「シューマッハも丸くなったね」「けっこう茶目っ気があるじゃない」との感想がでてきたのは当然だ。
ここで、ふたたびサッカーに話題を戻す。
プロのサッカーチーム運営はビジネスである以上、収益がプラスになることが前提になる。入場料、TV放映権、グッズ販売など儲ける柱をつくらないといけない。三浦和良が1994-1995年、ジェノアに在籍した時、「日本人選手の入団はチームへの経済的貢献が大きいからだ。実力ではない」とかなり言われた。日本人観客がジェノアにお金を落としたことを喜ぶ声もニュースになった。
中田さんのペルージャ入団でも同じように言及されたのは意外ではない。
この種の憶測はあいかわらずある。
長友のユニフォームの売り上げはインテルの選手の中でも上位だ。ACミランにとっても日本は大切な市場で、イタリアや中国などと並んでチームグッズの重要なお客さんだ。日本人選手がいなくてこうである。ここに本田が来たのだからユニフォーム販売もウハウハになるのは想像に難くない。
要はクラブにとって日本人のグッズ購買やTVも含めた観戦意欲の強いのが大切なビジネスネタであることに変わりない。憶測されるのは当たり前なのだ。
こういう状況のなかでの「選手の言葉」である。今やクラブ公式サイトのビデオアーカイブにある選手インタビューは注目を集めるスポットだ。ライブ感が求められる。そこに通訳がいたらアップテンポのやりとりにならない。中田さんのイタリア時代やシューマッハのフェラーリ時代とはメディア環境があきらかに異なるのだ。
日本のファンも本田や長友がイタリアのジャーナリストと丁々発止やっている模様に心を熱くするはずだ。「これならチームメンバーたちとも上手くやって信頼をえてボールを回してもらえるだろう」と。
サッカーの本場で同胞が生き生きとコミュニケーションしているリアルな姿を見たいのがファン心理である。