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一泊目だけ5つ星ホテルに泊まる中国人 フェイスブック自慢は何のため?

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一泊目だけ5つ星ホテルに泊まる中国人 フェイスブック自慢は何のため?

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 ソーシャルメディアがどこの業界でも話題の対象になる。旅行業界も例外ではない。

 「一泊目に5つ星ホテルに泊まり最高級のレストランで食事をする。それらの画像をソーシャルメディアに投稿し、友人たちに自慢ができたら、二日目から安いホテルに移って質素な食事をする。これがイタリアに来る中国人の観光客の一つのパターンとしてあるのですよ」

 先週ミラノでソーシャルメディアウィークが開催された。合計68のセッションが何か所かの会場で実施されたが、前述の発言は中国人の観光誘致を強みとするイタリアの旅行代理店の人によるものだ。高級ブランドのバッグを持っているのはもはやステータスにはならない。他の友人たちが経験していないことを、自分だけが経験していることがステータスになっていると説明する。

 「ご存知のようにフェイスブックは中国で使えません。だからイタリアに観光客を呼び込むためにも、中国のソーシャルメディアで流通しているコンテンツを追わないといけないのです」と強調していた。

 ぼくも色々な国の人のフェイスブックの投稿を眺めながら、社会階層や国によって自慢の内容が異なっていることを興味深く観察してきた。高級ホテルやレストランにいたとしても、画像つきで投稿する人としない人がいる。

 普段そういう場所を使い慣れていると思われているなら投稿しない。そう思われていないと考える人があえて投稿する。このセルフイメージの作り方の極端な一例が、一泊目だけ5つ星ホテルに滞在するとの選択肢になるわけだ。

 たまたまこの場合は「高級」がステータスになるが、アフリカの奥地の村でローカル食を口にするのも、あるコミュニティによってはステータスになる。

 現在、「経験(エクスペリエンス)」と「共有(シェア)」という二つの言葉が氾濫している。ソーシャルメディアの世界だけではないが、ソーシャルメディアのあり方が、象徴的な現象として殊更に取り上げられる。

 これらはバズワード気味でもあるが、やはりキーワードだと思う。他人が経験しえないことを自ら発信する。「ねぇ、ねぇ、こんな面白いところがあるんだよ!すごいよ!今度、君も来るといいよ」と言いたくなるのは自然の心理である。それをすべて自慢と捉えるのは心根が悪いというものだ。

 但し、図らずも前述のイタリアの旅行代理店の人が話したように、「経験のシェア」とは「自慢」の言いかえであることも多い。以前、インドネシアのソーシャルメディアの専門家に聞いたところでも、日本や欧州に旅行するとツイッターやフェイスブックに載せる傾向があると話していた。シンガポールやタイと比較して自慢しやすいのだと解説してくれた。

 それでは自慢できる条件は何か。

 一つはお金のかかるところ。近場のコストのかからない旅行先よりお金と手間がかかる遠距離の方が「来たぞ!」と言いやすい。多くの人が憧れをもっていて、しかしお金だけでは経験できない場所や人と会う。コネを使ってF1のパドックでパイロットの近くのテーブルで食事をするのが一例だ。この場合は高いお金をパドックのチケットを払ったより自慢できる。

 しかし、ソーシャルメディアはこんなレベルの自己顕示欲のために重要なのだろうか。いったい我々は何のために、こうも「経験の共有」にとりつかれているのだろう。

 かつてマスメディア全盛の時代においては、情報発信は1対多数だった。TVの旅番組で珍しい国が紹介されていても、「昨晩のTV見た?あれ、興奮したねえ」という同じ経験の確認作業の色彩が強かった。しかしネットの時代になり、1対1の情報発信が主流を占めてきた。それは必ずしも1対1でなくても、「1対1のように思われる環境」のもとでの情報のやりとりであることを含む。

 世の中はすべて言葉や数字に表せることで成り立っていない。なんらかの情感と論理の絶妙な組み合わせでできている。理路整然としてしゃべりの上手い人のメッセージだけが人を動かすのではなく、人の心の動きが分かった朴訥とした喋りが人の心を掴み行動を促したりする。比喩をつかえば経済書ではなく小説が世の中を作るようなものだ。

 経験のシェアが重要視されるのは、人間の人としての存在の復権かもしれない。

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