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寿司体験10年、シルビアの結論 ブームの推移とその行方

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寿司体験10年、シルビアの結論 ブームの推移とその行方

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 シルビアは現在40代前半のミラノに住むイタリア人女性である。彼女が寿司を初めて食べたのは10年前だ。子供の学校の親たちが集まる場で、ぼくの家内が素人ながらイタリア人の仲間に寿司の握り方を教えた。

 シルビアは生魚を食べたこともなかった。南イタリアのアドリア海沿いの地域では生魚を食べる習慣が昔からあるが、それ以外の地域の出身では寿司の経験がなければ生魚の未体験は珍しくない。

 特に日本の食事にも文化にも関心がない当時30代前半の彼女は寿司を目の前にして、なかなかそれに手を出そうとしなかった。が、周囲の反応をみて、おそるおそる口にした。サーモンであったかマグロであったか、それは覚えていない。とにかく「美味しい!」という言葉は出なかった。

 しかし、いくつかの握りを食べて、何からの好奇心が目覚めたのは確かである。その証拠に1週間後、夫婦で中国人の経営する寿司屋に出かけたらしい。即、大好きには至らなかったが、日常生活のなかに寿司が徐々に存在感を増していった。数か月に一度くらいは日本食を口にしたようである。

 正確な記憶ではないが、ミラノでは、これよりちょっと前の時期が寿司や和食ブームのスタート期ではなかったかと思う。中国人の経営する日本食レストランが増え、どこのふつうのスーパーで寿司パックを置くようになってきた頃だ。

 シルビアが和食に本当に嵌ったのは、最初の経験から約5年後である。

 つまりは今から5年前、その頃、彼女は毎週のように日本食レストランに通った。寿司だけでなく天麩羅やその他の食べ物も色々と試みた。どれも気に入ったと話していた。家内に鶏の照り焼きのソースの作り方も聞いていた。

 母親同士の集まりがあると、必ずといってよいほど、ぼくの家内に「寿司を作ってくれない?」とリクエストがきた。

 家内は少々ウンザリとしながらも、なるべく要望に応えてあげた。持ちよりパーティーで最初になくなるのは、いつも寿司だった。軽く食べられるメリットは大きかった。

 最近、家内がシルビアに久しぶりに会った時、また仲間で集まろうという話になった。そこで先制攻撃として、家内が「寿司は勘弁!」と言ったら、シルビアが「そう、寿司はもう要らない」と答えた。

 この変化に家内もハッとした。詳しく聞くと、こういうことらしい。

 「私が好きなのは、寿司めしの上にサーモンのタルタルがのっていて、更にその上にクリーム状フィラデルフィアチーズがあるもの。もちろん海苔は要らないわ。これ以外の寿司はもう積極的に食べたいと思わないのね」

 寿司敗れたり!と思わず口走りたくなるような、寿司体験10年の結論である。

 昨年ごろからだろうか。ぼくのイタリア人の友人から時々聞くようになったセリフがある。

 「正直言うと、寿司は飽きはじめたよ。最近、あまり日本食レストランに足を運ばなくなってきた」

 「寿司以降」というテーマが数年前から話題になっており、その一つにラーメンやうどんなどの麺類にスポットがあがってきている。ぼくはこのような周囲の声でその傾向を実感してきた。

 シルビアのエピソードを聞いて、「結局、終点はそこか」と感じずにはいられなかった。当然ながら、日常のリズムでよい具合に寿司を食べる人たちもまだ多くいる。だからシルビアのような例がどの程度の割合なのかはぼくも知りたい。

そもそも日本の人でさえ寿司をそんなに頻繁に食べるだろうか。

 日本とイタリアではブームといっても、上昇までのカーブが緩やかで下降線もゆったりとしている。しかし、通常の習慣をかなり変容させるのがブームである以上、いつかブームは終わる。課題はその時に何が残るか、だ。

 日本人のビジネスパーソンからすれば、ブームの主導権を握れなかったことから被害者意識もあるかもしれない。だからといって、カッコつきの正統派寿司ばかりをアピールするのが、日本のビジネスパーソンのやるべき唯一のこととも思えない。

 寿司ブームの推移とその行方をしっかりと考えるべきタイミングであろう。

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