『忘れられた詩人の伝記父・大木惇夫の軌跡』宮田毬栄著(中央公論新社・4600円+税)【拡大】
■戦意高揚詩を書いた父を
昭和13年、「国家総動員法」公布。日本は“進め一億火の玉だ”の標語の下、大東亜戦争に猪突(ちょとつ)猛進。とくに戦時歌謡は、戦意高揚、思想より情緒で、軍需品扱い。作家、画家、詩人らは戦争協力者として、報道、宣撫(せんぶ)の役割を担った。
「貴様と俺とは同期の桜」「何にも言えず靖国の 宮のきざはし ひれ伏せば(そうだその意気)」など、忠君愛国の扇動歌謡の名手、西條八十は、敗戦で戦犯を覚悟した。入れ歯も治し召喚にそなえたが、思想犯にあらずで見逃された。
著者の父、大木惇夫も、国家の要請に応じた。北原白秋門下の逸材抒情詩人。17年、陸軍文化部隊宣伝班員としてジャワ(現インドネシア)へ向かう。南支那海の船上にて書かれた「戦友別盃の歌」は、その直後、乗船が撃沈され、重油を浴びて数時間漂流する予兆がにじみ出ている。
〈わが征(ゆ)くはバタビヤの街(まち)、/君はよくバンドンを突け、/(中略)言ふなかれ、君よ、わかれを、/見よ、空と水うつところ/黙々と雲は行き雲はゆけるを。〉