函館のトラピスト修道院の庭で、自著『僕の音、僕の庭』を手にする井上鑑。この静かな風情の奥に、実に自在な音楽力とすこぶるラディカルな思考が秘められている=北海道・函館市(小森康仁さん撮影、松岡正剛事務所提供)【拡大】
【KEY BOOK】「カルサヴィーナ」(井上鑑著/冬樹社、2500円、在庫なし)
瀟洒(しょうしゃ)なブックレットとカセットテープが函に入っているお宝もの。冊子のほうは市川雅のカルサヴィーナ論、佐野元春との対談、クロニクル、それに井上鑑独得のヴィジュアル・スコアのようなものが付いている。このスコアの試みは、ぼくはその後何枚も見てきたが、とても含意に富んでいて、おもしろい。対談では、佐野が「サンスクリット語のお経などを聞いているとラップ的なニュアンスを感じる」と言うと、話はクリムゾンからフィリップ・グラスに跳びつつ、いったい日本語でダンスミュージックするとは何かが問われ、言葉と音の蜜月感覚が早くも交わされていた。カセットの音楽には、バレエ・リュスを今日の音楽環境に変換した実験性がひそんでいて、これまた貴重。井上は曲作りのためにガーナのアフリカン・マリンバ奏者のカクラバ・ロビを加えたのだが、譜面はいらないだろうと臨んだところ、何のための音楽かがわからないと弾けないと言われたらしい。祭祀のためか、鎮魂のためなのか。結局、狩りのためになったのだが、このセッションを通して井上は今日の音楽がスタイルだけで進んでしまうことを思い知らされたと、のちに『僕の音、僕の庭』に書いていた。