函入りの本の堂々とした感覚が好き、その函から上製本を取り出すときのシュポッという音触がたまらない、英語辞書のすべすべのインディアペーパーの紙の薄さにぞっこん惚れている、和綴本をかがっている紐の妖しさに見とれてしまう、カバーを剥がしたときの文庫本の地味なシリーズ装幀が郷愁を誘う…というふうに、本フェチは何がなんでも本のパーツを偏愛するようになっていく。西洋のビブリオマニア(愛書狂)には、深紅のモロッコ革を撫でていると、ついついリビドー(性欲)を感じるという連中さえ少なくない。
ぼくはバックスキンでむずむずしない代わりに、本の小口(こぐち)にめっぽう弱い。紙たちが断裁されて束ねられ、それなのになんともぐさぐさしている感じと、そのくせ互いの裾を揃えてきちんと密集している様子が、なんともいじらしく、いとおしいのだ。ときには、じっと黙ったままぼくを待ってくれていたのかと思ってしまうときがあるのだから、これはまあ、ビョーキだろう。ヤバイのは、そんなふうに小口に見とれていると、もう本を読んでしまったような気になることだ。