【KEY BOOK】紀貫之「土佐日記」(三谷栄一訳注/角川ソフィア文庫、432円)
貫之が4年間の土佐守の任務を終えて都に帰るまでの55日間の日記。鳴門海峡を渡り、大坂の和泉・枚方・高槻・難波をへて石清水神宮から山崎越えをして洛中に入るまで、淡々と綴っている。むろん当時の風物を記録している点でも貴重な文章なのだが、これが仮名で書かれていること、女ぶりの日記になっていることこそが、日本表現史上においても、日本文化史の全体からしても画期的だった。
奈良朝以来、そもそも日記は男が付けるもので、しかもそのすべてが漢文だったのに、それを貫之が完全にひっくりかえしたのだ。この女装の仮名の文章が、のちの平安期の女房たちの日記文学の一斉開花を促した。
『土佐日記』はまた歌日記でもあった。その歌をよく読むと、貫之が鏡像効果を意識していたことも伝わってくる。海と空のイメージを、「ひさかたの月に生ひたる桂河 底なる影もかはらざりけり」「ちはやぶる神の心を荒るる海に鏡を入れてかつ見つるかな」といったふうに、対比的鏡像的に詠んでいるのだ。これは男女を入れ替えた仮名日記が、実はそもそも鏡像的であることを暗示させたものでもあったろう。