日常はシバキ倒され
ということを私たちの生きる現実に当てはめて考えてみると、どのように考えても、それはアカンやろ。とか、それってどう考えてもムチャクチャですやん。みたいなことになって、日常常人としては狂人の理屈としか思えない。
しかし、史学、神学、哲学、経済学、言語学、民俗学その他読み狂人の知らん学、を義経八艘飛びかいっ? みたいに自在に飛び回り、情熱によって奔騰するままに発せられる著者の言葉は、私たちが疑わず前提として考えていることをシバキ倒して、私たちを狂気の泥沼に沈める。その泥沼こそが、本文中に頻繁に出てくる、「生殖地沼沢」なのか、と読み狂人なんかは思ってしまう。
そうしたキーワードも魅惑の本書は、ところどころ専門的で難しく、アーパーな読み狂人がすべて理解できたとは思えぬが、石牟礼道子の小説のひとつの読み方としてではなく、この本だけを読んでも、私たちがそれが普通のことと思っていて、だからこそ決定的に誤っているかも知れないことを解く鍵のひとつになると読み狂人は思う。例えばマルクスから龍神にいたる道筋とかマジで。(元パンクロッカーの作家 町田康、写真も/SANKEI EXPRESS)