その立脚点とはなにか。「大地の芸術祭」の舞台となる越後妻有は、山間部・豪雪地帯・過疎地区という、言ってみれば三重苦を抱える土地だった。それを北川氏は、美術を探して歩く遍路のような旅、ひときわ輝く夏の恵み、土地に根ざした住民たちとの出会いというふうに大胆に読み替え、粘り強く現地との交渉を重ね、アーティストを厳選し、開催期間中の来場者が48万人にも及ぶ一大事業に育て上げた。その後、まるで雨後の筍(たけのこ)のように全国各地で追随例が相継いだのは、この成功が大きい。芸術祭とはいえ、税金を投入した公共事業ではあることに変わりはないのだが、掛け声だけの「街おこし」とはまったく別ものの地域再生をなしとげたのだから、無理もない。
他方、単なるあと追いのなかには、そのぶん負の側面が目につくものが出てきているのも事実だ。美術展としての質の維持は、その最大の問題だろう。いくら公共事業と言っても、芸術にかかわることなのだ。内輪だけで盛り上がっても質が伴わなければ、けっきょくは外からの来場者に足を運ばせ続けるには至らない。いずれ衰退すれば、かつての箱もの行政と同じ、新たな負の遺産に成り下がってもおかしくない。それを避けるためにも、その土地ごとに根ざす、しっかりした理念がどうしても必要なのだ。「大地の芸術祭」は、だからこそ成功していることを忘れてはならない。