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「大衆メディア」の足跡 多角的に迫る 「江戸からたどる大マンガ史展~鳥羽絵・ポンチ・漫画~」 (2/6ページ)

2015.11.25 16:00

「鳥羽絵欠び留」(竹原春潮斎)。「手足が長く、眼は黒丸か『一』文字式に簡略され、描線もきわめて簡潔でリズム感を持っている」と鳥羽絵スタイルについて清水勲さんは語る(提供写真)

「鳥羽絵欠び留」(竹原春潮斎)。「手足が長く、眼は黒丸か『一』文字式に簡略され、描線もきわめて簡潔でリズム感を持っている」と鳥羽絵スタイルについて清水勲さんは語る(提供写真)【拡大】

  • 「源頼光公館土蜘作妖怪図」(みなもとらいこうこう_やかたつちぐも_ようかいをなすず)歌川国芳(提供写真)
  • 「浮世ハ夢だ夢だ」(筆者不詳)。ふとんに寝そべる男の吹き出しの中には都合の良い妄想が描かれている(提供写真)
  • 「絵新聞日本地」など貴重な明治期の雑誌も多量に展示(提供写真)
  • 展示風景、11月28日は木版画ワークショップもある=2015年11月14日、京都市中京区(提供写真)

 木版印刷広まり身近に

 江戸初期までは、『鳥獣人物戯画』などの絵巻物をはじめ、戯画は絵師による受注生産の肉筆画であったが、江戸中期より、木版印刷が発達したことで、一般庶民も身近になった。人口が増え、武士・僧侶だけでなく、町人が本を読むようになったことから、版元(今で言う出版社)が増えたのだ。そうした中で「鳥羽絵」と呼ばれるスタイルの絵柄が登場し流行した。1720(享保5)年、『鳥羽絵三国志』『鳥羽絵欠び留』『軽筆鳥羽車』など、「鳥羽絵」と付したタイトルの戯画本が同時に大阪で刊行され、その後、全国的に広がった。「鳥羽絵」という言葉のほか、「狂画」や「略画」などの名称でも戯画は庶民に親しまれたが、こうした言葉は、今日の「マンガ」のような日常語として人々に使われていた。

 江戸末期になると、幕府による改革の失敗、行き過ぎた倹約や飢饉(ききん)による一揆が続き、政治や世相を批判する「風刺」を込めた戯画がたくさん登場した。特に、歌川国芳の風刺画は切れ味がよく、大ヒットした。例えば、「源頼光公館土蜘作妖怪図」は、一見すれば、ユーモラスな妖怪画のようだが、老中・水野忠邦の天保の改革に対する批判が込められていた。

風刺を読み解くことも庶民の楽しみだった

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