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「大衆メディア」の足跡 多角的に迫る 「江戸からたどる大マンガ史展~鳥羽絵・ポンチ・漫画~」 (4/6ページ)

2015.11.25 16:00

「鳥羽絵欠び留」(竹原春潮斎)。「手足が長く、眼は黒丸か『一』文字式に簡略され、描線もきわめて簡潔でリズム感を持っている」と鳥羽絵スタイルについて清水勲さんは語る(提供写真)

「鳥羽絵欠び留」(竹原春潮斎)。「手足が長く、眼は黒丸か『一』文字式に簡略され、描線もきわめて簡潔でリズム感を持っている」と鳥羽絵スタイルについて清水勲さんは語る(提供写真)【拡大】

  • 「源頼光公館土蜘作妖怪図」(みなもとらいこうこう_やかたつちぐも_ようかいをなすず)歌川国芳(提供写真)
  • 「浮世ハ夢だ夢だ」(筆者不詳)。ふとんに寝そべる男の吹き出しの中には都合の良い妄想が描かれている(提供写真)
  • 「絵新聞日本地」など貴重な明治期の雑誌も多量に展示(提供写真)
  • 展示風景、11月28日は木版画ワークショップもある=2015年11月14日、京都市中京区(提供写真)

 風刺画雑誌の登場

 幕末期から流行した風刺画は、新聞・雑誌の発展によって、ますます勢いを増したが、背景には、西欧から来日した画家の影響や、明治時代に入って導入された亜鉛凸版印刷の台頭があったのが大きい。横浜の居留地に来日したイギリス人のチャールズ・ワーグマンは、1862(文久2)年に母国の風刺画雑誌『パンチ』をまねて、一枚絵風刺画を紹介する『THE JAPAN PUNCH』を創刊したが、この雑誌をきっかけに「ポンチ」という言葉が使われるようになった。

 「ポンチ」は、主に「時局風刺画」を表す言葉として使われたが、その後、多数の雑誌が創刊されたことで庶民にも広がった。例えば、日本人が初めて刊行した時局風刺雑誌『絵新聞日本地』も登場。1877(明治10)年には、『團團珍聞』も創刊された。後者は、自由民権運動を支持した風刺画をのせたことで庶民の人気を得たようだ。ジャーナリズムの中で、マンガの萌芽(ほうが)は脈々と膨らんでいたのだ。

「漫画」に至るまでの流れ

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