ゴンサレスは、バルセロナの金工職人の家に生まれた。家業を手伝い技術を身につけたが、アントニオ・ガウディ(1852~1926年)やピカソと同じ芸術協会に所属し、画家を目指した。一家でパリに移り住んだのは1900年。アンデパンダン展、サロン・ドートンヌなどに出展するが、評価はされなかった。
13年には宝飾・美術工芸品の店をラスパイユ大通りに開店し、金工の技を生かして家族を養っていたが、第一次大戦中は宝飾品が売れず、溶接工として食いつなぐことになる。
ピカソに溶接技術を教え
彫刻を作り始め、同年生まれでルーマニア出身のブランクーシ・コンスタンティン(1876~1957年)の制作を手伝ったこともあり、50代にしてようやく「彫刻家」の自覚が高まり、作品も認められるようになってくる。
そんな1928年、ピカソから、詩人ギヨーム・アポリネール(1880~1918年)の記念碑を作るために「溶接の技術を教えてほしい」と頼まれ、教授した。