ぼくの少年の頃は、すでに抱影翁が愛用したという天体望遠鏡「ロング・トム」が有名で、みんな似たような望遠鏡が欲しくてたまらなかった。そのうちその文章を読むようになると、今度はみんな抱影翁のようにロマンに満ちた天体愛好者になりたくなったものだ。けれども誰も真似ができなかった。その文才はラフカディオ・ハーン(小泉八雲)譲りだったのだ。
野尻抱影は『鞍馬天狗』やパリコミューン記などで鳴らした作家・大佛次郎の実兄である。二人は二人して日本人の血をロマンチックに沸かすことを心掛けた。こんなふうな抱影翁のメッセージが残っている。「産声を挙げた夜も、柩(ひつぎ)に釘の響く夜も、天に輝く三つ星よ、シリウスよ、讃えられてあれ!」
【KEY BOOK】「星三百六十五夜」全4冊(野尻抱影著/中公文庫、各637円)
いま一番読まれている本だ。春夏秋冬の毎夜の星や星座や星にまつわる有職故実やエピソードを一夜ずつ記して、全ページを満天の星物語で埋めた星界日誌。胸がときめく。こんなどぎまぎする星の浪漫を綴りきれる人は、抱影翁しかいない。それは、天体の知識と文明の精華と自分の体験とが星屑のようにまじって香りを放っているからだ。これまでさまざまなサイズの同書が各社から発行されてきたが、この4冊が手にとりやすい。