新国立競技場 森喜朗元首相「センチュリーが来て…ラグビーだけ降ろされた」 (4/10ページ)

2015.7.23 21:04

会見する東京五輪・パラリンピック組織委の森喜朗会長=22日午後、東京・内幸町の日本記者クラブ(栗橋隆悦撮影)

会見する東京五輪・パラリンピック組織委の森喜朗会長=22日午後、東京・内幸町の日本記者クラブ(栗橋隆悦撮影)【拡大】

  • 会見する東京五輪・パラリンピック組織委の森喜朗会長=22日午後、東京・内幸町の日本記者クラブ(栗橋隆悦撮影)
  • 自身の書いた揮毫の横で笑顔を見せる東京五輪・パラリンピック組織委の森喜朗会長(左)=22日午後、東京・内幸町の日本記者クラブ(栗橋隆悦撮影)
  • 会見する東京五輪・パラリンピック組織委の森喜朗会長=22日午後、東京・内幸町の日本記者クラブ(栗橋隆悦撮影)
  • 会見する東京五輪・パラリンピック組織委の森喜朗会長=22日午後、東京・内幸町の日本記者クラブ(栗橋隆悦撮影)
  • 会見する東京五輪・パラリンピック組織委の森喜朗会長=22日午後、東京・内幸町の日本記者クラブ(栗橋隆悦撮影)

 1964年の東京五輪のとき、日本が戦争に敗れて19年目だ。とにかく北海道から沖縄まで焦土と化して、食べるものもない時代から、五輪を一つの契機に東京や日本を造り替えた。新幹線や高速道路や都市計画、新しい日本をつくるために五輪は大きな役割を果たした。単にスポーツマンの集まりということではなくて、日本全体の底力を見せて日本を紹介するということと、世界は一つだということを見せる場だ。担当される人はそういう気構えでやってほしいし、五輪の一番の責任者である首相はそういうお気持ちで、『これから日本は世界を変えていくんだ』というお気持ちで五輪にあたってもらいたい。

 実は私はこの7月14日で78歳になった。だから、五輪のことも心配だけど、五輪まで自分の体がもつかどうかと。最初は随分、そういう気持ちだった。案の定、この3月に肺がんであることがわかって、医者から『すぐ取れば大丈夫だよ』といわれて、取ってもらった。そして『何年持ちますか』と聞いたら、『まあ命があるまで持ちますよ』なんて言われたんだが、まあそういうものを持ちながら何とか頑張って、あとは足を少し強くして、五輪でスタンドに上がるときに手を引っ張って上がらなくてはならないようなことだけはしたくないなと思っている。

この1年半の間に何をやったか。まずやったのは…

産経デジタルサービス

産経アプリスタ

アプリやスマホの情報・レビューが満載。オススメアプリやiPhone・Androidの使いこなし術も楽しめます。

産経オンライン英会話

90%以上の受講生が継続。ISO認証取得で安心品質のマンツーマン英会話が毎日受講できて月5980円!《体験2回無料》

サイクリスト

ツール・ド・フランスから自転車通勤、ロードバイク試乗記まで、サイクリングのあらゆる楽しみを届けます。

ソナエ

自分らしく人生を仕上げる終活情報を提供。お墓のご相談には「産経ソナエ終活センター」が親身に対応します。