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目立つだけのデザインで差別化…たいした見返りはない
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「グローバル市場に出ていくには、やはりインドネシアらしい商品を出さないといけないと思うのですが、どう考えますか?」と聞かれた。インドネシアの若手起業家からの質問である。先週、ジャカルタでデザイナーなどを対象に講演した時のことだ。
「あなたが何を売るかによるでしょう。スマホを売るならインドネシアらしさは必要ない、というより邪魔でさえあるかもしれない。一方、フランスのエルメスなどにみるように、高級路線で雑貨やファッションを売る際にはローカル文化は売りになることがあります」とぼくは答えた。
当然ながら自国の文化を尊重しようとの動きはどこの国にもある傾向で、インドネシアも例外ではない。政府も毎週金曜日は民族衣装を着るように奨励しているようだ。否定する理由は何もないが、ビジネスをする際に呪縛的な側面がないわけではない。「外国で目立つには自国文化を全面に出さないといけない」との思い込みだ。
彼は米国留学の経験があるが、だからこそ自国文化に拘るのかもしれない。しかし、留学経験者が一律にそうだというわけではない。欧州の留学から戻ったデザイナーは、食事をしながらこう話してくれた。
「同世代の連中は盛んにインドネシアの伝統的な技術やアイコンを使いたがる。そしてグローバルへと意気込む。でもぼくの意見を違う。本当に生活に必要なものをデザインするのが第一目的であって、それがどこの国の文化のものであるかどうかは関係ない」
結果的にインドネシアのデザイナーが人々の役に立つモノを作るのに貢献していることが重要だ。だいたい2億4千万の人口があって先進国の企業がこぞってこの大規模市場を狙っている時に、どうして彼らに自国市場で優位に立とうと思わないのか、と彼は語調を強めた。「グローバル、グローバル」と騒ぐ輩にはウンザリだという表情だ。
どちらのタイプがインドネシアの若手デザイナーに多いのかは分からないが、「インドネシアらしさ」と言う時、往々にしてスタイルや色を指すことが(いや、それしか指さないことを)、後者の彼はイライラするのだろう。古びたお土産屋の店頭にある商品とどこと違うのか、と喉まで出かかっている。クールジャパンの名のもとで紹介される作品に釈然としない気がすることが多いのとまったく同じだ。これは先進国か新興国を問わない。
歴史を重んじたところからしか意義あるイノベーションは生まれない。こう何度もこのコラムで書いているが、それはよく見馴れた伝統的な形状や色をそのまま利用せよということではない。使うなら必然性を圧倒的に感じさせることだ。そうでなければ、安易にアイコンへ寄り掛かっているに過ぎないことになる。
世界には200か国以上の国がある。それぞれが自分たちの生活文化アイデンティティを自覚することは悪いことではない。オリンピックの開会式で各国代表団が各々の衣装を着ているのを眺めていると世界の豊かさに感謝したくなる。
文化の多様性の維持という面から均一化に向かうのは好ましくない。
しかしながら、「だからグローバル市場にはインドネシアらしさで売る」というのは自らの可能性を狭めている。インドネシアが好きな人は、インドネシアらしい雑貨を買うかもしれない。それだけの限定的なマーケットだ。
「我々は世界のインドネシアが好きな人のためにインドネシアらしい雑貨を売りたい」 こういう表現であればそれはそれでいい。食産業のロジックに近い。ただ、それなら自らの2億4千万人の市場に絞ったほうがよっぽど成功率が高まるだろう。
きっとくだんの起業家は外国競合他社との差別化のために自国文化らしさという結論に至ったのだろう。が、モロッコ好きとタイ好きの人とどう差別化が図れるというのか。
目立つことだけを目標にすれば、たいした見返りはないと知るべきである。