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【書評】『工作舎物語 眠りたくなかった時代』臼田捷治著

ニュースカテゴリ:暮らしの書評

【書評】『工作舎物語 眠りたくなかった時代』臼田捷治著

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 ■風穴開けて見晴らす糸口に

 工作舎、という名前で反応できる、してしまう向きは言うに及ばず、すでに歴史の過程と距離感を持つ若い衆世代にとってはなお、おのれの現在からどう「これまで」を地続きにしてゆくか、そのための器量が試される1冊である。

 1970年代半ば、東京の片隅に宿った小さな集団。編集とデザインとを同じ場でひっくくっちまおうという当時としては蛮勇、後に大きく羽ばたいてゆく流れを先取りしたグループ。松岡正剛と杉浦康平、この2枚看板で語られるのが通例だが、ここはその周辺と後続の衆、戸田ツトムや羽良多平吉から祖父江慎などに合焦させた取材ベースで進行。その分、初発の何でもありの熱気とその後の転変との距離まで期せずうかがえる。

 〈とにかく夢があったんですよ。お金のために働くということではなかった。昼間の4時頃行っても何人も寝ている。普通の会社ならありえないですよ。恐ろしいとさえ感じた。会社というよりもある意味で宗教集団的でしたね〉

 天井桟敷に工作舎、オウム経由にワタミその他へ。「若さ」の不定形な熱をどのように「場」に集約し、同時代の最先端に集中的に投下してゆくか、その手管や政治について同時代的現前の来歴。概(おおむ)ね80年代以降、活字からビジュアル/イメージ優先に情報環境が曲げられてゆく過程で宿ったものの果実とともにその後始末も含めて、本腰入れて自省せねばこの先立ちゆかない季節。「戦後」や「昭和」の清算、というのは実にそういう自省の過程でもある。

 著者が良くも悪くも業界内存在な分、視点も切っ先もその間尺でしかないのは致し方ない。だがそれゆえの天井が見切れるのは読み手にとっちゃ福音。描かれなかった領分の奥行きとその底知れなさに気づけるかどうかも活字の愉(たの)しみ。そう、本書がぼやかす90年代から〈いま・ここ〉に至る地続きの未踏路をこそ、それぞれ見通してゆくこと。それが、すでに「失われた20年以上」になんなんとするわれらニッポンの腑抜(ふぬ)けたブンカ状況に風穴開けて青天井見晴らす糸口になる。巻末の索引や小事典もありがたい。(左右社・2200円+税)

 評・大月隆寛(札幌国際大学教授)

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