この話を聞いて、「またか!」と思った。
先週、欧州の大学の先生と東京で夕食をともにした。日本の大学から留学生交換などの国際提携のオファーを受けているので、彼は日本の大学を訪問して話し合っている。過去、こういう話をそれなりの数こなしてきた。
「またしても、英語でぼくとまともに話し合える先生がいない」と嘆く。名前を聞くと、日本国内ではどこも立派な評価を得ている歴史ある大学だ。それらが欧州の大学と提携したいと言ってきている。
しかし、交渉にもならないという。言葉はろくに通じない。海外の大学の経営的視点がどんなものかなぞ考えたことが殆どないから、話がかみ合わない。だから欧州の先生は溜息をつきながら愚痴をこぼすことになる。
今、文部科学省は各大学の尻を叩いて国際化をしろというらしい。そこで片端から海外の大学に提携を打診する。が、「グローバル」に通用する学生を育成すべき先生たちが実はまったく「グローバル」に通じない。
彼が会った先生の何人かは、日本国内でとても勢いのよいことを語っているし、頭の中をもっとオープンにしろと学生にもはっぱをかけている。
他方、海外に出て不自由なく動きまわっている大学の先生もたくさんいる。ただ、それがどの大学にも一定数、どういう入口から入ってもぶちあたるというわけではないのだ。
これで大丈夫なの?とぼくも当然思う。
が、ぼくが最近よく考えるのは、こういう聞きなれたエピソードを、どういう尺度で判断すればおさまりがよいのか?ということだ。