【番頭の時代】(3)志賀俊之・日産自動車副会長(上)
■野心と経営感覚、ゴーン氏が評価
■自らは女房役 出会った当初から自覚
壇上で熱弁をふるう男の迫力に、日産自動車の企画室次長だった志賀俊之(現副会長)は圧倒された。1998年秋。日産役員らを前に、ルノー副社長だったカルロス・ゴーン(日産自動車社長)の発言は「ルノーはこうしてコストを削減した」と明確だった。
長い海外赴任を終えた志賀は、本社の花形部門とされる企画室に異動した。だがそのとき本社は、約2兆円の有利子負債を抱え、経営危機に陥っていた。
再建の「頼みの綱」だった、ルノーとの資本業務提携交渉のさなか。ルノー会長(当時)のルイ・シュバイツァーの提案で、ゴーンのプレゼンテーションを企画したのが志賀だった。志賀はゴーンの強いリーダーシップに魅了され、「この人の下で働きたい」と当時、日産社長だった塙(はなわ)義一に訴えた。
翌年ルノーと資本提携し、カルロス・ゴーンが日産社長に着任した。志賀はアライアンス推進室長として現場とゴーンとのパイプ役を務めた。日産をよみがえらせたゴーンのリバイバルプランは、「番頭」としての志賀のキャリアのスタートだった。