経営合理化の流れで
屋上遊園地は先の大戦下でいったん姿を消すが、戦後に再開し、下町の百貨店から、全国の鉄道系のターミナル百貨店、富裕層が中心だった銀座の百貨店に広がった。
しかし、高度経済成長期を経て、テーマパークの登場や価値観の変化、百貨店の経営合理化の流れの中で、90年頃には徐々に規模を縮小し、そのほとんどが姿を消していった。
戦後、進駐軍の接収を免れた松屋浅草店は46年、1階の売り場に併設して遊園地「スポーツランド」を再開した。49年には屋上に60人乗りのゴンドラ「スカイクルーザー」が設置され、人気に。夜はネオンに輝く姿が浅草の夜空を彩り、戦後復興のシンボルにもなった。
53年に松屋に入社した松屋150年史編集準備室の佐柳寿雄(ひさお)さん(80)は「飲食店や娯楽の集まる浅草では、銀座店とは違う大衆百貨店にする狙いがあった。買い物客だけでなく、地元の子供たちは親からチケットをもらい、一日中遊んだ」と話す。