登場人物の中には、造仏の責任を担う技術者たち、冷徹な若い官吏、底辺に位置する奴婢(ぬひ)など、立場や階級が異なる人々もいる。在野の僧侶から、大仏殿建立の浄財を集める責任者、「大勧進」に抜擢(ばってき)された行基も出てくる。この老僧と、彼を取り巻く信者以外の人々は、造仏中の大仏に対して、信仰心を抱いていない。地方出身の仕丁たちは、3年の役務を無事に終えて、一刻も早く、故郷に帰りたいというのが本音なのだ。彼らにとっては、宮麻呂が作る日々の飯こそが、まさに生きる糧なのである。
陸奥(みちのく)から徴用されてきた乙虫(おとむし)という仕丁は、強い訛(なま)りのせいで孤立し、罠(わな)にまではめられる。しかし宮麻呂だけはなぜか、彼の言葉を理解し、深い同情を寄せる。この物語は「東北」の方角にも向いているのである。また大仏鋳造技術に関する詳細な描写が、迫真性を生み出している。
この小説を読んだあと、奈良を訪ね、東大寺を参拝するとき、巨大仏を造るために立ち働く大勢の人の姿や、炊屋から立ち上る煙が目に浮かぶのではないだろうか。さらにはきっと炊き立ての飯の香りが、匂ってくるに違いない。(光文社・1600円+税)
評・畑中章宏(作家)