【BOOKWARE】
3・11から3年がたった。まだまだ問題も課題も積み残したままにある。とくにぼくが気になるのは日本人が抱いてきた「陸奥」(みちのく)への憧れが、いまだ十分に回復していないことだ。
柳田国男が『遠野物語』の聞き書きをもって日本民俗学をスタートさせたように、東北は日本人の心の原郷だったはずである。だが、そこが回復していない。平成の「奥の細道」めぐりも、あまり聞こえてこない。
古代日本に大和朝廷が確立したとき、東北は化外(けがい)の地として「蝦夷(えみし)」と呼ばれ、坂上田村麻呂を嚆矢(こうし)とする征夷大将軍が何度も服属を強いる遠征対象になった。その後も蝦夷はアテルイの反乱や前九年後三年の役などを挟んで、つねに中央から遠ざけられ、見放されてきた。そうした仕打ちを見てきた奥州藤原四代が奥六郡の平泉を中心に「もうひとつの日本」を築きたくなったのも、宜(むべ)なる哉(かな)である。
これらのことは、征夷大将軍という名称が「征・夷」をカンムリにしていることにも如実にあらわれていた。「征・夷」は北の蝦夷を討つという意味なのだ。しかし鎌倉室町以降、その征夷大将軍も幕府の地に落ち着くことになると、しだいに「みちのく」は日本人の心情の奥にともる灯火のようになってきた。