【BOOKWARE】
日本の近代文学のベストテンを選ぶとしたら、むろん選び方によって幾つもの番付ができるだろうが、ぼくはずっと以前から折口信夫(おりくち・しのぶ)の『死者の書』を入れたいと思ってきた。冒頭、「した した した」「こう こう こう」という太古の雫(しずく)の音が聞こえてくるところから始まる、霊妙きわまりない物語だ。
舞台は当麻寺を麓にもつ二上山。時は奈良中期。死者がめざめ、失っていた記憶を呼び戻したのである。その記憶の糸はしだいに当麻寺に眠る中将姫の伝説へ、さらには山越阿弥陀の伝承へとつながって、歴史をさまようことになる。まさに折口が古代人に憑依(ひょうい)して綴ったような物語だった。
『死者の書』を構想するにあたって、折口が思い浮かべていたことは、「神の嫁」とはどういう役割をはたす者なのかということと、日本人が彼方に常世(とこよ)や浄土を想定した背景には何があるのかということだ。
折口は小さな頃から、年上の青年に憧れ、万葉歌や源氏物語に耽り、神社を一人で訪れるような、フラジャイルで多感な少年だった。