そこへ「萩の舎」の同門の田辺花圃(かほ)が小説『薮の鶯』で多額の原稿料をもらった。一葉はこれでいこうと決める。20歳で『かれ尾花一もと』を書き、さらに朝日新聞の小説記者だった半井桃水(なからい・とうすい)に師事し、図書館に通いながら『闇桜』を書くのだが、桃水との仲が噂となると、一転、独自のスタイルに転ずることにした。それが露伴風の『うもれ木』だ。機転が強い気性だったのだろう。
それでも生活は楽にはならない。相場師になろうかと借金をして元手を得ようとしたものの、これもうまくいかない。吉原遊郭近くの下谷(したや)龍泉寺町に引っ越して荒物と駄菓子などを売る店を開くのだが、これもダメ。さっさと本郷の丸山福山町に移って『大つごもり』を発表すると、ついで龍泉寺の日々を題材にした美登利と信如の淡い交流を綴った『たけくらべ』を文学界に7回連載した。これを鴎外や露伴や緑雨が激賞した。
それからは『ゆく雲』『にごりえ』『十三夜』『裏紫』と続けさまに書き続けて、明治29年11月23日、体を蝕んでいた肺結核が治らず、24歳6カ月で死んだ。『大つごもり』から『裏紫』まで、僅か14カ月のことだった。日本文学史上、「奇跡の14カ月」と言われる。