東京裁判は戦争犯罪を裁いただけではなかった。「平和に対する罪」「人道に対する罪」という新たな犯罪名が加わった。人類全体がかかえるような罪状である。しかし、その大罪で27名が起訴され、死没の永野修身(ながの・おさみ)と精神鑑定を受けた大川周明(しゅうめい)を除く25名全員が有罪となり、7名が絞首刑になった。開廷の劈頭(へきとう)で弁護団副団長の清瀬一郎が「連合国には、この二つの罪で被告たちを裁く権利はない」と強調した。その凛とした声の響きの中に、いまも日本人の多くが佇んでいるはずだ。
真珠湾攻撃から原爆投下まで、満州事変からGHQの日本占領まで、明治憲法から戦後憲法まで、東京裁判には考えなければならないことが、ヤマほどもある。そこにはポツダム宣言の意味、ナチスの戦争についての見方、日本陸軍部の異様な体質、八紘一宇(はっこういちう)の政治思想、昭和の大衆社会とメディアの煽情力、アメリカの原爆投下の罪状、天皇の戦争責任、講和条約と安保条約、A級戦犯を合祀した靖国問題のことなどの難問も、みんな入ってくる。
この負荷は尋常ではない。何か心情的なものをそこで昇華していかないかぎり、あまりに息苦しくて、東京裁判がもたらした問題の全貌を見渡すことなんてできないし、そこに大きな課題を浮上させていくことも、難しい。とはいえそういう準備を怠ると、いわゆる「東京裁判史観」に陥って、かえってトラウマにとらわれてしまうことになる。