これらダイナミックに変遷する仕事を、展覧会場を回遊するように眺めているうち、ふと気付くことがある。
それは、手掛けたジャンルや掲載された媒体の違いにかかわらず、川崎が一貫して「躍動」を追い求めてきた描き手だということだ。
それは、初期に手掛けた得意なジャンルが、忍者ものと西部劇だったことに象徴されている。いずれも神出鬼没の登場人物を、平面のコマ割りのうえで、いかに迫真的に描くかに、作品の魅力が懸かっている。そして、いずれの分野も1対1の勝負の場面にクライマックスがあり、そこでは、目にも留まらぬ一瞬の攻防が生死を分ける。作画家にとっては、腕の見せどころであると同時に、たいへんな難題であったに違いない。
若々しさと荒々しさ
けれども、こうした「一瞬の攻防」をめぐる「目にも留まらぬ」描写で鍛え抜かれたからこそ、野球マンガの常識をはるかに超えた『巨人の星』の、あの迫真極まる作画も可能になったに違いない。誤解を恐れずに言えば、『巨人の星』とは、西部劇に見立てられた野球マンガなのだ。単なるファインプレーなどで決着がつきようがない。最後の最後にものを言うのは、“忍者”たちが駆使する秘術=魔球しかない。宿命のライバル=星と花形満の勝負は、まさにその典型だろう。