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祖国から離れてなお先を行く表現者 「オノ・ヨーコ 私の窓から」 椹木野衣 (3/6ページ)

2015.11.30 10:00

オノ・ヨーコ《FROM_MY_WINDOW:Salem_1692》2002年、顔料/カンヴァス、個人蔵(提供写真)。(C)YOKO_ONO_2015。Yoko_Ono,FROM_MY_WINDOW:Salem_1692,2002,Pigment_on_stretched_canvas,Private_Collection。(C)YOKO_ONO_2015

オノ・ヨーコ《FROM_MY_WINDOW:Salem_1692》2002年、顔料/カンヴァス、個人蔵(提供写真)。(C)YOKO_ONO_2015。Yoko_Ono,FROM_MY_WINDOW:Salem_1692,2002,Pigment_on_stretched_canvas,Private_Collection。(C)YOKO_ONO_2015【拡大】

  • オノ・ヨーコ《WAR_IS_OVER》1969年、オフセット印刷、紙。44.2×31.6cm(慶應義塾大学アートセンター提供)
  • オノ・ヨーコ《チェア・ピース》1962年、「ジョン・ケージとデヴィッド・チュードアのイヴェント」(京都会館、1962年10月12日)で行う(吉岡康弘さん撮影、個人蔵)。Courtesy_of_Lenono_Photo_Archive。(C)YOKO_ONO_2015
  • オノ・ヨーコ《見えない花》より「ある朝早く」1952年、インク・パステル/紙、個人蔵。(C)YOKO_ONO_2015。Yoko_Ono,AN_INVISIBLE_FLOWER,1952,Ink_on_paper_and_pastel_on_paper;two_sheets_from_the_work,Private_Collection。(C)YOKO_ONO_2015
  • オノ・ヨーコ《見えない花》より「ある朝早く」1952年、インク・パステル/紙、個人蔵。(C)YOKO_ONO_2015。Yoko_Ono,AN_INVISIBLE_FLOWER,1952,Ink_on_paper_and_pastel_on_paper;two_sheets_from_the_work,Private_Collection。(C)YOKO_ONO_2015
  • 第25回吉田秀和賞を授与される椹木野依(さわらぎ・のい)氏=2015年11月20日、茨城県水戸市の水戸芸術館(原圭介撮影)

 そしてなにより、ケージは「4分33秒」という無音の楽曲で、芸術にかかわる世界中の人々の度肝を抜いたのだったが、今回の展示では、そのオノがケージと並ぶこと1952年、学習院の女子部在学時代、早くも「無音の楽曲」と題して発表しようとしていた作品の現物が展示されている。

 「イマジン」の一節さえ

 また、やはり同じ年に作られたドローイングと言葉からなる連作「見えない花」からは、「YES」とだけ小さく書かれた画面を見つけることができる。この一語は、ロンドンで発表された「天上の絵/イエス・ペインティング」(1966年)で、ビートルズのジョン・レノンとオノが出会い、のちに結婚を果たすうえで、とても大きな役割を果たしている。さらにこの言葉は、ついにはアメリカで組織されたオノの大回顧展の全体を括(くく)るほど大きな意味をなすことになる。だが、その原点は、すでにこの時点で芽生えていたのである。

 ところで、64年に日本を去って以来、オノが次に東京と関係を結んだのは、そのレノンとの結婚を機に世界中でベトナム反戦の意をあらわすために発表したパブリック・アート「戦争は終わりだ…それが君次第!(WAR IS OVER! IF YOU WANT)」(1969年)であった。

ジョン・レノン「イマジン」

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