イランの首都テヘランにあるサウジアラビア大使館前で、処刑されたシーア派指導者ニムル師のポスターを掲げて抗議する人々=2016年1月3日(AP)【拡大】
反発を承知で2日にシーア派指導者ニムル師の処刑を発表し、翌日にはイランとの断交を宣言。サウジの性急な動きに「サウジ王家は冷静さを欠き、迷走している」(アラブ外交筋)との見方が強まった。中東の覇権争いで劣勢に立たされ、王家内の権力継承にもほころびが目立つサウジ。首都リヤドの外交筋は断交について「王家内の少数の人たちが恐怖と怒りに突き動かされて決断した」と分析する。
「かつてサウジはアラブの大国だった。今や溺れる者がわらをつかもうとしているようだ」
イランの駐サウジ代理大使を務めたアハマド・ダストマルチアン氏は、サウジの現状を冷ややかに表現し、イラン側の余裕を代弁する。
レバノン内戦を和平に導いた1989年の「タイフ合意」や、パレスチナ和平交渉を勢いづけた2002年の「中東包括和平案」など、サウジは骨太の外交で中東をリードしてきた。オバマ米大統領は就任間もない09年4月、当時のアブドラ国王と握手する際に「お辞儀をした」と指摘され、サウジの大国ぶりを印象付けた。
だが、11年に中東民主化運動「アラブの春」が広がると、サウジは余裕を失い始める。特にアブドラ国王の死去後、15年1月に就任したサルマン国王は、イエメンへの軍事介入やシリア反体制派への軍事支援など攻撃的な外交に終始。今回の断交もその延長線上にある。