しかしバンコクの養護学校に進み車椅子を使い始めて人生がガラリと変わった。体育の教師がスポーツを勧めたのだ。バスケットボール、テニス、卓球、水泳…と挑戦。彼は次々にこなしていった。腕の力をつけるトレーニングを重ね、才能が花咲くことになる。そして陸上競技をはじめる。
職業訓練学校に進み電気技師としてTVの修理などを仕事にしていたが、もっと身体を使いたかった。バルセロナのパラリンピックに出たのは19歳の時だ。20代後半で日本人女性と結婚した彼は日本で生活をスタートし、今はスポーツセンターで子供たちにスポーツを教えている。
ぼくはレースで勝つコツを聞いた。
「手袋です。100種類くらいもっていますが、ホームセンターで売っている普通の手袋を自分なりに作り変えるんですよ。いろいろとスリップ防止の材料などを張り付けて。そして本番では3種類をもっていき、その時のコンディションに合わせるわけです」と説明してくれる。
もちろん車椅子自体の軽量化は重要で、アルミやカーボンファイバーという素材の使用は欠かせない。しかし、一般の手袋をカスタマイズするところにノウハウがあると知ったぼくは、何か嬉しかった。やはり競技者が身体で一番接するところは自分で工夫して作っている。
話しを聞けば聞くほど、ぼくの知らないことだらけだった。